トントさんと言葉のデッサン

人生で出会ういろいろな事を日常の言葉で描きたいと思っているブログです。

食器洗い

トントおじさん

 最近、ときどき田舎で一人生活をしているのは知っているだろう。家の周りには都会のようにしゃれた飲食店はないので、自分で作るんだ。まあ、それは仕方がないとして、食べ終わった後の食器洗い、これってけっこう面倒じゃない?

ぽここ

 それはそうね。

 でも、私は好きよ。けっこう気分転換になるし。

トントおじさん

 そう。おじさん、自炊するようになってまだ日が浅いせいか、今一つ・・・。

 いや、洗う事そのものは、洗剤をつけてゴシゴシして、水で洗い、かごに入れる。まあ、複雑なことはない。

 でも、何が面倒って、

まず食べるという目的が終わった後の付けたし作業に思えるし、それで、何か新しい食べ物ができるわけでもない。

 それに、食べ終わってからすぐに食器洗いをするとなれば、お腹も適度に満たされてどちらかと言えば一休みしたい時間だし・・・。

 それを、毎日どころか日に三度も繰り返さなければならない。

 でも、だからといって、食器洗いをしないで放っておくと盛り付ける使える食器がすぐなくなってしまうし。

 それで、なんとか、面倒な気持ちを起こさずに快適にできる「食器洗いの方法」はないか、考えてみたんだ。

 ・・・もちろん、くだくだ言ってる暇があったら、とにかく始める! 

    繰り返しているうちに気にならなくなる、

  と言う天の声も聞こえてはくるよ。でも、ちょっと考えて見ようと・・・。

  聞きたい?

ぽここ

  まあね。 

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トントおじさん 

(1)まず、食器洗いを二つの段階に分けて考えるんだ。

  前半部分の「開始段階」と、後半部分の「完成段階」。

 「開始段階」は、

 使った食器に洗剤をつけて、水で流す前の状態まで持っていく部分。    

 私の場合、洗剤をつけてゴシゴシした食器をそのままいったんシンク内の洗い桶に溜めておきます。ここで、特に水付けはしません。

 つまり、洗剤を付ける前の使った食器は、シンクの中の洗い桶の外に置いておくことになります。普通は、洗い桶にすぐにいれておくと思うけど。

 「完成段階」は、

 洗剤がついたままの食器を洗い桶から取り出し、水で洗剤を流し落として、乾燥かごにいれる部分。作業はただ流すだけだから簡単。この時、温水で流せば乾きも早い。

 ちなみに、私の場合、洗剤のついた食器を水道から出る水で流す作業はわりと好きだと、やってみて気がついた。

(2)そして、「とにかく、最初の開始段階だけやっておこう。後は、放っておいて、後でやってもよい。水で流すだけで簡単だ」、と自分に言い聞かせる。

(3)そして、よし!やろうと、食器洗いをはじめる。

 そうすると、たいていは、水洗いの最後までやってしまっている自分に気がつく。

 これが、考えた方法なんだ。

 まあ、子どもだましみたいなものと言えばそうなんだけど。

 面倒という気持ちの問題だったから、これでとりあえず解決ということかな。

ぽここ

 ふーん。でもどうして、そんな風に分けて考えることにしたの?

トントおじさん

  ともかく一回に作業しなければならない事を少なくしたかった。

 それで、とりあえず、前半の開始段階と後半の完成段階の二つに分けてみた。

 そうすると、何も作業していない状態から開始段階への移行する時、つまり最初に着手する時が、一番ハードルが高いことに気がついた。

 どういう事かというと、

 最初に作業を開始する段階というのは、やらなくちゃーと「思っている状態」から「やっている状態」という質的に全く違う「状態」へと飛躍することになる。当然、大きなエネルギーを必要とするはずだ。

 一方、開始してから最終仕上げの完成段階への移行は、既に着手の経験を終えて行動しているので、開始段階よりも心理的エネルギーが少なくて済む。惰性、慣性でそのままいける

 つまり、ある「作業」を、前半と後半の二つの段階に分けて考えることには、それなりに意味があると気がついたんだ。

 だから、これをひとまとめにしないで、分けて考える

 そして、ただでさえ心理的ハードルの高い前半段階への移行・着手の負担をできるだけ軽くすることを考える。

 つまり、

 〇後半部分を切り離し、一回で全部やらなくてもよいと言う形で気持ちを軽くする

 〇最初の開始段階だけをとにかくやればいいんだ、と自分を納得させて、とにかく開始状態にしてしまう

 〇いったん開始状態にしてしまえば、あれこれ想像している状態(案ずる状態)とは別の行動状態(産む状態)になって、「案ずるより産むが安し」というルールの動きに身をまかせる

 別の言い方をすれば、

 最初の開始段階から最終の完成段階までを一つのままイメージして、「気合を入れすぎ、やる前から心理的に重荷になって、ついに先延ばししてしまう」というような自滅パターンに進む前に手を打つ。

  具体的には、ある作業について「二つに分ける考え方」というもう一つの考え方を作ることで、考えの流れをハードルの低い方に向けて行動方向へと誘導する。

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 まあ、この方法は、

 考え方を変えただけで、実際にやることを変えているわけではないので、自分の気持ちを丸め込んでいるようなもの。

 でも、「自分で自分の考え方を変えて自分を動かす」という方法でもある。

 人生の問題の解決には、物理的に変える方法と、考え方で変える方法の二つがあると思う。

 人間は心を持った存在でもある。例え、自分の心であっても、それを一つの対象として観察し、考え方を変えることで、自分や他の人の気持ちを変え、行動を変え現実を変えることができる。

 そういう意味で、考え方を変えるというソフトな方法は、目にみえないけれど、ハードで物理的な方法と同じくらい、現実的な効果を持っていると思うんだ。

ぽここ

 食器洗いから、語りますなあ~。