トントさんと言葉のデッサン

人生で出会ういろいろな事を日常の言葉で描きたいと思っているブログです。

正面突破しなければならない時がある

私の平凡な人生経験の中で、一つ思っていることがある。

どんな人でも様々な困難な状況に陥ることがある。

そこで、いろいろな人に相談し、アドバイスを求め、本を読んだりする。

すると、そうしたアドバイス同士が、他のアドバイスと相反する内容であったり、自分が直観している内心の気持ちと違うことがある。

そんな時、人がもともと持っている「親切なアドバイスをすべて満たすような方法を考えたい」という気持ちのままに、不用意にアドバイスに自分の気持ちを預けてしまうことがある。体力が落ちて心も疲れているときなどだ。

そうすると、弱くなった思考力では手におえず、わけがわからない、お手上げ状態、どうすることもできない、八方ふさがりの状態、となる。

しかし、考えてみれば、もともと、周囲の意見、アドバイス同士の連絡や統一は取れていない。全体を考えてのものではない。全体を考え、統一をとれるのは自分しかいない。アドバイスの言葉からどういう行動を行うかは本人が核となってまとめ整合性をつけるしかない。

だから、わけがわからなくなったジレンマ状態を脱するには、まず、体力を取り戻し自分の心を取り戻して自分の考えで心を整理し、その心の声にしたがって、いずれかのアドバイスに抗うことになる道を正面突破するしかない。

私には、今でも次のようなイメージを持つことがある。

鋭い鉄線が張りめぐらされた暗闇の中を私は進んでいる。鉄線に触れれば皮膚が切れる。思わずすくんでしまう。しかし、傷をおいながらも先に進んでいる姿だ。そして、ついに目的を達する。

少々かっこよすぎる姿だが、仕事をしていたころ、何度かこんなイメージで自分を励ました。

子供のころ、剣豪の話が好きだった。ある剣豪の「肉を切らせて骨を断つ」剣法について読んだことがある。勝つためには、皮膚も肉も骨どれも無傷のわけにはいかない時もある。

八方美人では解決できない時がある。

風圧の中を正面突破しなければならない時がある

結果はわからない。

でも、どんなに逆風が強くても痛くても、胸を張って、空気をいっぱい吸う心の姿勢だけは譲れない

そう思って行動する時がある。

 

※ 進む方向があっているかどうかはわからない。結果もわからない。

でも誰にもわからないのだ。ただ、現実の動きには、人の思慮や感情が生み出す心配の枠をはるかに超えた多様性と豊かさ、可能性があることは確かだ。そこに賭ける価値はある。

 ちなみに、私の場合、そのような覚悟で臨んだ時の結果でわるい思い出はない。

 むしろ、心の背を丸め、縮こまり、暗く閉じこもった時の方に、よい思い出がない。