人生の希望を確実に実現する方法
トントおじさん
今日は、ポココさんはでかけているから、ひとり言になってしまうけど、
人生の希望を確実に実現するには「準備」が必要、という話をしよう。
準備?
何か実現したいことがあり、そして、それによって何か希望の状態を得たいと思っている、とする。しかし、それをするためには今の身一つの状態ではできない。つまり、目的とする行動を開始する前に必要なものや事をあらかじめ用意しなければならない。
準備することとは、そんな状態の時に行う事前の行動のことだ。下地を作る、基盤を作る、土台を作る行動といってもいい。
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外国の人と楽しく話すためには、外国語を話せるように準備する必要がある。
物を買うには、お金を準備する必要がある。
お金を得るためには、他の人がお金を出してくれるようなもの、つまり商品を用意しなければならない。
商品は、相手が欲しいと思えば、物以外にも、身体技能による形のないサービスでもよい。ともかく、それらを準備しなければならない。
英会話の技能、何か他の人に提供できる専門知識・ノウハウ、などの技能サービスを商品とするためには、一定期間、トレーニングしていつでも使えるように身に付けなければならない。
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また、商品が何かの物であれば、とにかく、人に渡せるような作品を現実に作り用意しなければならない。
商品を準備したら、次は、それを買ってくれる人と接触して何等かの取引をしなければならない。就職するということは、自らの技能を商品にして、それを買ってくれる人と長期契約を結ぶ事と言える。
農業や漁業で作物や生産物、漁獲物を商品として用意したら、次はそれを買い手を見つけて取引しないと、お金にはならない。
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これらはすべて、「準備をする」という事と言える。
世の中には、手持ちの身一つで直ぐに始めることができて、かつ欲しいものが得られるというものはない、と経験上思っている。
「準備をする」ことは、世の中で自分の希望を実現するためには、ぜひとも必要なことだ。
それに、日常でも、何か準備しておけば、いざという時、即座に次の行動に移せる。いざ事が起こる前に準備しておくことで、瞬時の対応が可能になる。
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しかし、実際に準備を着々と行う人は意外と少ないように見える。
衝動的に、いきなり、準備なく、行って、結果当然うまくいかず、運がない、才能がない、と嘆いているケースが多いように見える。
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そうなる理由を、わが身を反省して考えてみる。
1)自分で何か準備しないでも欲しいものがそこに用意されているという子どものころからのイメージを抜けきれない。
2)世の中、お金さえあれば、身一つで楽しめるサービスが多く用意されている消費社会になっている。そのため、意識しないでいると、お金と感覚を使うだけで何かを得る傾向が強化されてしまう。
そこで、準備しないでも、欲しいものを得られる、と思ってしまう?
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しかし、成長して、何等かの手段で、お金を自分で得なければならない環境になると、世の中、何かを得るには何かを「自分で」準備しなければならない、ということに、はたと気が付く。
お金を準備する必要があるし、お金を得るためには別の何かを準備する必要がある。そうしないと、目的の物を得られない。今の世の中、身一つで準備なく得られるものはない。お金以外の欲しいものでもそうだ。
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ある意味、人ができることは、準備することだけだ。だから、周到に準備してもなお、結果が得られなかったら、それは本当に運ということになりあきらめもつく。
ただ、準備をしている段階というのは、他人からは効果は見えにくい。何か遠回りしているようにも見え、理解してもらえないこともある。他人が知るのは、最終段階だ。だから、例え本人にはトレーニングの結果の技能であっても、周りの人にはその人の持って生まれた才能のように見えるかもしれない。才能さえも、準備の賜物と言えるのだ、と思う。
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そこには、人知れず、準備事項を調べて手順を計画し、一定期間忍耐強くトレーニングして技能を身につけ、周囲に働きかけて環境を整える期間があったはずなのだ。
準備をするかしないか、それが希望を実現できるかどうかの分かれ目なのだと、思う。
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おじさんも、準備にかける人生の時間は少なくなっているが、楽しみでもあるのでやっていきたいと思っているよ。
あ、そうだ。ポココさんは、今日はいなかったな。