トントさんと言葉のデッサン

人生で出会ういろいろな事を日常の言葉で描きたいと思っているブログです。

どうしたら求めるものに出会えるか

ポココ

 今日は、少し曇っているわね。調子はどう? おじさんは、お天気屋だから今日はあまり冴えないかしら。

トントおじさん

 よく分かるね。自分でも自覚しているよ。やれやれ。

 ところで、今日は、世の中の「もの」は偏って存在している? という話をしよう。

 

 ものは、世の中のどこにでもあるように思えるけど、特定の場所に行かないと見つからないものも多い。つまり、世の中のものは偏在している。

 例えば、おじさんは本が好きだ。それで、図書館や本屋さんによく足を向ける。もちろん、そこには本が一杯だ。何の本でもよければザックザックという感じだ。ところが、いったん、この本ないかな?と探してみると、一転して、これがけっこうないんだなあ。普通の本屋さんや町の図書館に行ってもどこにもない。意外とない。ところが、専門の図書館や専門の古本屋、大学の研究室や図書館にはごろごろしている。

 先日、おじさんは聞いていなかったが、ある遺失物センターの話がテレビであったそうだ。そこでは、毎日携帯電話の忘れ物がかなりあるという話だったらしい。つまり、そこで担当している人は、毎日恐らく数十台の携帯の忘れ物の中で過ごしていることになる。ところが、私たちも時々忘れものはするが、さすがに毎日ということはない。忘れ物について、一方の人にとっては当たり前の毎日の日常であるのに、一方の人にとっては稀にある珍しいのことになる。

 もうひとつ例を。こういうところには誰もこないだろうな、と思う場所(例えば、山の頂でも、店でもいい)に実際に行って見ると、案に反して、そしてそこには多くの人がくつろいでいる。しかも、そこに行くまでの途中では人っ子一人見かけなかったのに。どこから探してきたのだろう、と感心するが、自分もやってきた一人だったことに気が付く。自分と同じような物好きも結構いると感心するわけだ。

 私たちには、物や人、情報、資源などが均一に私たちの周りにあふれているというイメージがある一方で、物や事の分布は、案外、特定の場所に偏っていた、という経験をするわけだ。

 こうした経験からいくつかの考えが頭に浮かぶ。

 

1)求めるものは動かないと得られない。

  仮に、物や人や情報や資源が、どこか特定の場所に偏って存在しているとしたら、それに出会いたいと思えば、そのような場所に行かなければならない。ただ日常の中で夢想していても出会うことはできない。何等かの具体的な行動によって特定の場所に行かなければ出会えないことになる。

  その方法には二つある。例えば、良い店との出会いで言えば、最近のネットの検索のように、キーワードによる一定の仕組みを使う方法と、街をぶらぶら散歩する中で出会う方法だ。

2)日常で求めるものがないと思っても、あるところにはある。

  諦めてはいけない。私は、若い時に、人から依頼を受けてあることを調べたことがある。「常夜灯がそばにある水田作物に与える影響」について書いた論文はないか、というものだ。そういう論文を調べるために特別な本がある。今では、ネット上でも調べることができるようになっているが、当時は図書館に行かないとそういう本はおいてなかった。私は、そんな細かい事例があるだろうか半分疑っていたが、調べるとなんとそういうことを研究している論文があった。いや私が知らなかっただけで、私の驚きとは別に、研究者から見ればさして特殊な研究ではなかったのかもしれない。とにかく、その時以来、私は世の中には、とてもないだおうなと思うようなものでも、(探せば)あるものはある、ということを学んだ。  

3)自分の当たり前を、安易に「みんな」や「普通」に当てはめない。

  もし、私たちがそうした特定の物が集まっている場所でのみ生活しているとすると、その時には、そうでない場所に暮らす人との間で、認識に差が出るかもしれない。世界のものが、均一に分布しているのはなく、偏って濃淡を以て存在しているとしたら、一方の人に当たり前なことが、一方の人にはめったにない事ということになる。この時、特定の場所での見方を全体に当てはめて判断すると実際と違うものになってしまう。「普通は~だ」「みんな~している」というように「みんな」とか「普通」という言葉をあまり気にせず私たちは使うけれど、そういう時に反映されてしまうとしたら、現実を反映しない表現になる。自戒しないといけない、と思うわけだ。

 

 とにかく、こう考えると世の中はおもしろい。自分の動きで、思ってもみなかった世界が現れてくる。思い込まないで、頭をオープンにして動いてみると世界が開けてくる。世界が固定的に閉じているようにみえるのは、自分の頭の中の世界を見ているからだ。実際の世界は、常に開かれ、私たちの想像を超えている、と考えた方が面白い。

ポココ

 おじさん、天気が曇りだからなのか、今日はやけに饒舌ね。もっと簡単に話せるような気もするけど、ま、いいか。誰か他に話を聞いてくれる人がいるといいわね。じゃあ。