トントさんと言葉のデッサン

人生で出会ういろいろな事を日常の言葉で描きたいと思っているブログです。

自動車運転が教える「期待と信頼」

ぽここ

 は~い、おじさん。また少しサボっていたみたいね。

トントおじさん

 そうなんだ。ごめん。それはそうと、今日は、自動車の運転シリーズの最後を話そうと思う。

 何年も運転していると、ドキッとした経験が一度ならずある。

 例えば、横道から車が飛び出して来て危うくぶつかりそうになったとか、交差点を直進しようとして右折車が待ってくれると思ったら予想に反して進んできてぶつかりそうになったとかだ。本当にドキッとする。

 それで反省してみる。

 私がこういう進路で進もうとして実際にそうした時、何をしていたかを考えてみる。相手はこう進路を取るだろうから私はこう進んでも大丈夫、という判断をしていたのだ。相手の動きからこう動くだろうという予測をしていたわけだ。

 ところが、危ないことになってしまった。それは期待した事と違った。その意味で間違ったわけだ。どこで間違えたのか?

 横道からの場合には、横道から飛び出てくることはほとんどないだろう、という私の思い込みがあった。交差点の場合には、相手はこちらの動きを認識しているはずだ、という思い込みがあった。どちらも私の側の思い込みだ。もちろん、相手も予測はしていたはずだ。

 双方の予測において、予測通りに相手が動けば間違いは起こらない。つまり、衝突は起きない。(わざと衝突したい人は別だけど。)

 しかし、起こってしまった。私も相手も、共に互いの動きの予測を間違えて理解し行動したために生じた事だと言える。自動車運転の場合、慣れてくるとこうした予測はほとんど自動的に行ってしまいがちだ。そこが、事故が発生する原因となる。

 つまり、本来ならその都度把握して予測すべきだが、ほとんど自動的に相手の軌跡を頭に描いて、それを前提に自分の運転をしている。

 たいていの場合は、これでうまく運転できる。しかし、これは保証されているわけではない。基本的には、運に支えられてうまく運転できていたのだ、と思い知るわけだ。ちょうど、ワープロ漢字変換で思わぬ漢字が現れてびっくりするようなもので、自分の期待と表示される漢字との間には何の関連もなかったと知るわけだ。

 ここで、私が学んだことは、我々は、常に、周りの人やものの動きについて、一定の予測をしながら、自分の動きを決めている、ということ。

 そして、その予測が現実とあっていない時に、何等かの期待せざる事が起きる。

 そして、相手がこう動くだろうということの何か確証があったかというと、あくまでの予測と期待にすぎなかったと知る。そう動くだろうと期待してのこと以上のものではなかった、ということだ。

 世の中は、人それぞれが互いに抱き合う予測、期待と信頼によって成り立っており動いている、そして、そのプロセスで生じる行き違い、認識ミスが事故の発生につながる、ということを実感するわけだ。ひょっとすると、国同士の戦争などもこんな事情が原因となっているかもしれない。そう考えた時、「信頼醸成措置」という難しい言葉の意味も少しわかった気がする。

 とにかく、我々は、予測しあうことでしか相手の行動を知ることはできない。

 期待し信頼する以上の確証的方法はない。

 だから、コミュニケーションによって、互いの姿を知ることは大事なんだと思う。(車の運転で言えば、互いの動きに注意し、思い込みをしないで対抗車の動きを知ること)

ぽここ

 なるほどね。

 でも確かに、私たちは、物事について、思い込みや偏見で自動判断して、それで互いに期待しないことになってしまうシーンがけっこう多そうよね。

 

トントおじさん

 あ、そうだ。自動車学校で教えてもらって感心したことをおまけで。

 1)自動車は目で運転しなさい。

 2)衝突の最後の瞬間までブレーキを踏みなさい。最後の瞬間でのスピードによって衝撃が決まる。最後まであきらめてはいけない。

  この二つもなかなか味わい深いよね。