自分を変える一般的手順(2)
私たちの頭と行動には、言語を中心とした意識レベルと身体化した潜在意識レベルが区別できる、と前回で話した。
第一のステップである「認識・行動手順の再構成」は、いわば、
身体化した潜在意識レベルの状態を ⇒ 言語を中心とした意識レベルの状態
につなげて、意識上において管理しようとする働きと言える。
(身体化した潜在意識レベルのあり方の二つ)
ところで、詳しく見れば、身体化した潜在意識レベルのあり方には、更に大きく次の二つの状態がある。
●一つは、本能・感情など自動化した身体機能であり、
●もう一つは、通念的考えや見方、偏見、思い込みなど自動化した考え方である。
(本能・感情などの身体機能の性質)
このうち、前者の本能・感情など身体に自動化した機能について考えてみたい。
本能や感情は、自分の意思で変更したり消したりすることは困難だ。そもそもそういうものを本能や感情と呼んでいる。
さらに、本能や感情を無理やり抑え込もうとすることも良い結果につながらない。一時的に抑えたところで、それは表面的でありかえって意識下に潜み、後で精神的な歪みと弊害とを起こしかねない。
従って、感情や本能についてできることは、その存在を否定せず、むしろ認めてそのエネルギーをまともに受けずに流すことである、と自分の経験から思う。
(言葉の役割)
その際、言葉は大事な役割を持っている。
最終的に本能・感情を打ち消すことはできないとしても、そうした本能や感情に言葉を与え意識の上に映し出すことで、生の感情や本能について少し距離を持って接することができる。
今、私がこうして文章を書いていることからして、言葉を利用している。生の感情や本能に言葉による表現を与えることで対象化し、他の感情や経験、感覚と比較したりその間の関係をあれこれ吟味できる。それができるのも、言葉に置き換えているからだ。
とは言え、もちろん生の感情や本能そのものは、そのまま意識化でうごめいていて消えるわけではない。
しかし、意識の上で言葉に表現することで、他の経験や感覚との間で正当な場所と役割が与えられる。そして、その範囲の中では、本能や感情は、無軌道な発散によって他の機能を圧迫することなく、自由にその機能を発揮することができる。
言葉には、それを意識の上で働かせることによって、そのような心の内面の意識下にある自動化された本能や感情を、意識がモニターし一部コントロールする機能がある、ように思う。
(本能・感情への向き合い方)
こういう訳で、自分の力で自分を変え自分の希望をかなえるための手順の第一ステップの一つ目の方法は、本能や感情への向き合い方を示すものだ。
そして、それをまとめると、
意識下にある本能や感情などを、言葉の表現によって意識レベルにつなげることでモニターしコントロールする事ができる
と言う事になる。
文学という活動も、こうした言葉の働きの中で行われている作家の営みとして理解できるように思う。