トントさんと言葉のデッサン

人生で出会ういろいろな事を日常の言葉で描きたいと思っているブログです。

私に考えがある! 誰でもできる大きな夢の実現法

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トントおじさん

 『私に考えがある!

ぽここ

 いきなり、どうしたの?

トントおじさん

 申し訳ない。実は、今日のテーマなんだ。

 英語で言うと、I have an idea かな!?

 考えがあるかないか、考えを持つか持たないか、これは、人生を「思い通り」に過ごすために非常に大きな要素だと思う。

 私は、よく洋画をみる。映画の中には、主人公が、いざという時に「私に考えがある!」といって、見事に難題を解決するシーンのものも多い。例えば、警備の厳しい基地に忍び込んで仲間を助けたり、数が圧倒的に多い敵の攻撃をまさに受けようとしている場合。仲間が、「これはなかなか難しい、これじゃー、ダメかも」と思わず漏らすと、主人公が、「大丈夫、私に考えがある!」と言うわけだ。仲間は、これに従って、めでたしめでたし。

 ここで、「考え」というのは、アイデア、計画手順(プラン)など広く考えている。

「考えもなしに〜するんじゃない!」と叱る言葉がある。

「考えもなし」というのは、アイデアや計画、プランがないこと。出たとこ勝負、行き当たりばったり、運任せ。つまり、相手の分析、自己の現状、状況全体の動きの予想とそれに対処するAプラン,Bプランの設定と準備などはいっさい行わない。自然や状況の推移、過去の習慣となった動きや自己の感情などの流れのままに行動すること。

「考えを持つ」が具体的にどんな状態をさすかは「考えなし」の逆を考えればいい。

この「考えを持つ」ということには、次のような効果があると思う。 

一番目に、チームや仲間の中で、リーダーになる事ができるかもしれない。

 なぜなら、考えのない人は、考えのある人に従うほかないからだ。リーダーの条件について、経営の本にいろいろ書いてあるけど、私は、目前の課題に対してプランを提示できるかどうかが大きなポイントになると思う。簡単に言えば、「リーダーになりたかったら、考えを持て。考えろ。」ということになる。

二番目には、リーダーにはなれなくても、軍師として仲間うちで重要な役割を果たす事ができる。

 リーダーになるためには、うまくいかなかった場合の責任をとらなければならない、みんなを引き込む迫力がなければならない、など他の条件も必要。それでも、その場面に即して考えた結果のアイデアやプランを作ることは誰でも簡単にできることではない。いい考え・アイデア・情報は貴重だ。リーダーでなくとも軍師的存在には成ることができるかもしれない。

三番目には、チームや個人の問題を解決する手段となる。

 先の映画のシーンがそうだ。考えなしに何もしなければ、なるようになるだけ。自然まかせ、運まかせということになる。もちろん、下手に何かするより、何もしないで、嵐が通り過ぎるのを待つという手もある。しかし、これも「考えなし」ではない。今は動くべきでない、と考えて動かないのである。

四番目に、個人やチ―ムの夢を実現する方法となる。

 考えの中味は、具体的には、ちょっとしたアイデア・情報から、大きくは計画・作戦まである。計画・作戦は、細かな作業の組み合わせからなっているはず。その細かな小さい事項をチームが分担してシステマティックに行うことで、最終的な段階で大きなことを達成できる、という構造になっているはず。

 個人的な計画でもよい。大きな事業を一回の行為でそのまま実現できるほど飛び抜けた能力のスーパーマン級の人は多くないはずだ。そうでない凡人が、大きな事業を実現する方法は、それを自分できる範囲の事柄に細かく区分することだ。そして、それを時系列に組み合わせて、ひとつ一つ段階的に行っていく。

 もちろん、自分だけでなく、他の人の動きを計画に組み込み、その参加が得られれば、もっと大きな事業を実現できるだろう。

周りの人は、最終段階の実現した場面しか見えないから、結局、大きな事をやったすごい人だと思ってくれるに違いない。最終局面までの長い期間のことは外からは見えない。いろいろ調査して準備プロセスを計画する、つまり「考え」を持つ。そして、それを忍耐強くひとつひとつ実行していく、というこの期間は自分で孤独に担っていくしかない。

要するに、大きな夢を自分でもできる細かな作業の集合に分割して、それをひとつ一つ実現していく。大きな事をそのまま実現することは難しいが、細かくしてしまえば自分でもできる。これは、難しい問題は分割して解け、というデカルトの教えと同じ考え方だ。

とにかく、「考えを持つ」という視点で、日常の生活を見直してみるのも無駄なことではない、という話をしてみたかったわけだ。

ぽここ

 おじさんの言いたいことは、つまり、こういうことかしら。

 自然のまま、状況や環境の流れのままに過ごすか、意識的・計画的に生きてみるか、「考え」を持って過ごすか、考えなしに過ごすか、それが問題だ、と。

 人生を「思い通り」に過ごすためには、そもそも「思い」つまり「考え」を持たなくては始まらない、と。

 でも、私の見た映画のシーンでは、何か考えがあるのかと聞かれて、No idea と言ってさっそうと行動に移る主人公もいるわ。また、偶然を味方にする能力、という考えもあるというし。

トントおじさん

 そうだね。そもそも、考えの対象は、自分の人生であったり、現実であったりする。その意味で、考えを持つということは、そういう現実や状況に関与して自分の望ましい方向でそれをコントロールしようとする意識的な姿勢と言えるかもしれない。

人事を尽くして天命を待つ、つまり、考えて準備をしておけば、偶然の事態が起きてもそれに余裕を持って対処できるような気がする。どちらがどうこうではなく、どちらも大切、という風に考えることができればいいと思っている。